今回は現在新聞販売店を営んでいる現役所長さんにインタビューさせて頂きました。
借金返済のために新聞販売店に転職
ー本日は宜しくお願いします。新聞販売店に勤めたきっかけを教えてください。
そうですね。元々板前をやっていたのですがギャンブルで借金を作ってしまい、借金返済のために新聞販売店に転職しました。
初めは「配達だけの仕事」という認識しかありませんでした。配達も何とかこなし数カ月後には「代配」として、お店全体で11区域のうち約3ヶ月間で8区域覚えました。
営業の方も「どうやったらお客様に自分を覚えてもらえるだろう」「どうしたらお客様に喜んでもらえるだろう」と考えて仕事をしていたら、いつのまにかお店の中で1番の営業成績を出すことができました。
専業社員時代の取り組み①(自己紹介チラシ)
専業時代の取り組み②(担当エリアの読者に年賀状)
専業時代の取り組み③(顧客データの収集・蓄積)
ーご自身で考えられて仕事に取り組んでいたわけですね。
そうですね。初めは借金を返すために一生懸命で店長になりたいとか、独立したいとか考えていたわけではなく、普通に「挨拶」や「お客様に喜んでいただくこと」を心がけていたら、営業成績が店内やグループ店でも上位になって、お給料も増えていくうちに仕事が楽しくなっていったというところですかね。
ーそこから新聞販売店で独立できたきっかけを教えてください。
3年半ぐらい専業社員として頑張っていたら、当時の所長から移動の話があり、そのお店で店長としてやってみないかというお話しを頂きました。移動して3ヶ月後には所長から突然電話がかかってきて「〇〇君そのお店で独立してみないか」という話しを頂きました。
急なお話しだったので既に以前の借金の返済は終わっていましたが、まさか「代償金」でこんなにお金がかかるとは知らず、正直ビビりました。
※代償金とは新聞販売店の経営権利を買うためのお金
当時自己資金として200万しか持っていなかったため、組合から1000万、所長から1000万、親族から650万を借りて2850万円の代償金を用意しました。
借金を返し終わったと思ったら、今度は2650万借金するという途方もない金額でしたが、所長の言う通りにすれば大丈夫だろうと思いました。
ーこれから新聞販売店で独立を目指す方にアドバイスをお願いします。
そうですね。新聞は斜陽産業と言われていますが、まだまだやり方や工夫次第では生き残ることは十分可能だと思います。
また新聞販売店はお店を引き継いで初めから一定数の読者がいて、売上が入ってくるという部分では恵まれていると思います。
勿論独立してからも経営の勉強や他店との競争などもあり大変ですが、自分の考えを理解してくれて助けてくれる仲間を1人づつ増やすことに尽きると思います。
専業のときは基本1人での仕事でしたが、所長となると自分1人ではお店が回りません。新聞販売店は労働者集約型産業なので、とにかく人材育成に力を入れていくべきかと思います。
あとは少しづつでもお金を貯めておくことですかね(笑)
ー所長になってよかったことを教えてください。
1番は色々な所長さんや本社の方と出会えて、皆さん色々考えて仕事をしている話しを聞くと、やっぱり刺激になるし、もっともっと自分も頑張らなければいけないなと思います。
あとは自分は食べることが好きなので、色々なお店に行って美味しいご飯を食べたりできることですかね。
ー当社の臨配をいつもご利用頂きありがとうございます。今回当社で臨配フランチャイズの墓集を開始しました。所長は臨配ビジネスには興味ありますか?
そうですね。Changeさんにはいつもお世話になっていて、今も2人臨配さんをお願いしています。まだ独立したばかりなのでまずは店舗を大きくすることが目標ですが、新聞やチラシの売上がさらに今後厳しくなるのは確実なので、選択肢の1つとして考えておきたいと思います。
ー本日はインタビューにご協力頂きありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。